お盆に帰省したひととき、皆で高校野球をみました。
試合が終了して
次に進めなかったチームはグラウンドの土を両手で集め、袋に入れる。
その姿がテレビに映ると、さっきまで解説さながらに話していた野球好きの父もしばし 無口に。
こんなにもいろんなことを背負っているのだなと思う。
試合に出られなかった人や観客席で応援している人も。
どこかでそっと見守っている人がいるのかもしれない、とも思う。
「勝ちました 〇〇高校の栄誉を称え…」
というアナウンスの言葉には収まらないほど
みんなまぶしく感じて 思わず拍手でした。
恒例のトランプでダウトして、
帰宅してパンを焼きました。
小麦の外皮、胚芽、胚乳まるごと 全粒粉と雑穀のパン。
粉に酵母と水と塩を混ぜて、両手でこねていたら
甲子園の土を集める手を思い出しました。
どこか似ているかもしれない。
こぼれ落ちてしまった思いや、叶わなかったこと。
何かを犠牲にしてきた罪悪感とか、儚い期待とかいろんなことをかき集め、また違う旅をしてやってきた他の材料と合わせこね混ぜる。
形を変えて、発酵させて、最後に焼くとパンになる。
発酵には時間がかかるけれど。
焼けたパンからは力強い香りが立ち上り、
近づいて耳をすますとパチパチ小さくはじける音。
この音、天使の拍手と呼ばれることもあるのだとか。
いろんなことがふわっと昇華していく気がして癒やされます。
食べるとそのパンは無くなり、代わりに私は振り出しに戻る エネルギーを得る。
その繰り返しが丁度良くて、
だからパン作りだけは続いているのかもしれません。
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